STAKEHOLDER INTERVIEWS グローバルヘルスR&Dに関わる
ステークホルダーへのインタビュー
この5年で日本が変わったこと 
今後日本と世界が進む未来

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矢島 綾

世界保健機関西太平洋地域事務所
顧みられない熱帯病 専門官

顧みられない熱帯病(NTD)とはどういった疾患なのでしょうか?

顧みられない熱帯病(NTD)は、熱帯、亜熱帯などの149の国と地域で蔓延する感染症で、10億人を超える人々がNTDにより健康を害していると推定され、毎年数十億ドルもの経済的損失があるとされています。衛生環境が十分に整っていないアフリカ、南アジア、東南アジア、中南米に広く分布しており、感染を媒介するベクターや家畜などに接する機会の多い世界の貧困層がNTDの影響を受けています。現在、世界保健機関(WHO)では、次の4つの条件を満たす疾患をNTDと定義しています。

全てに共通しているのは、多くは蚊、ハエ、サシガメ、あるいは巻貝などの動物・昆虫等を媒介して人に感染する寄生虫病ですが、細菌、ウイルスによる疾患もあります。

一昨年までNTDは17疾患だったのですが、加盟国からの要請をWHOのNTD戦略技術諮問委員会が審査する形で、昨年マイセトーマという真菌性菌腫疾患が新たに追加され、さらに、今年3つの疾患が追加されました。

「顧みられない」と呼ばれてきた背景には次のような理由があります。一つ一つの疾患で見てみると、HIV/AIDS、マラリア、結核などの三大感染症と比べて致死率が低く、貧困地域に長く生活することによって感染する疾患が多く、例えば先進国の人が旅行中に感染するようなことは稀です。なおかつ、これらの疾患に苦しむのが低中所得国の貧困層の人々ばかりのため、感染しても診断・治療にアクセスする金銭的余裕がない、従って民間企業も診断・治療薬を開発販売するモチベーションが低い、というようなことから、国際社会の注目を浴びることも少なく、インパクトも小さかったことが挙げられます。

しかし、トラコーマやオンコセルカ症は失明を引き起こしたり、リンパ系フィラリア症(象皮病)は象のように足や陰嚢を大きく変形させます。トレポネーマ感染症(イチゴ腫など)、ハンセン病、リーシュマニア、マイセトーマなどは深刻な皮膚病を起こすなど、NTDは疾患によって症状が全く異なりますが、身体に重篤な変形や障害をもたらし、永続的にその症状が残る場合が多くあります。その結果、差別や偏見を受けて、働きに出られなかったり、結婚ができなかったり、精神的に追い込まれる人もいます。

また、疾患によっては子どもの発育障害を引き起こすものもあります。その子たちが大きくなったとき、労働力の低下につながっていく可能性もあります。そうしたNTD疾患は、疾患に感染した人々がすぐに亡くなるような疾患ではありませんが、ただでさえ慢性的に労働力の不足している蔓延国では、社会や経済に与える影響が極めて大きいのです。

“理論的にも疾患を制圧・根絶でき、かつそれを実現するためのツールやニーズを明確に示すことができれば、援助機関も支援をしやすくなりますし、製薬企業なども具体的な貢献の方法が見えやすくなります。”

このNTDに関して、日本や国際社会はどのように取り組んできたのでしょうか?

もともとNTDというのはNeglectedとは言いながらも、複数の疾患に関しては、世界保健総会決議に基づき、疾患別に根絶・制圧プログラムが進められていました。例えば、フィラリア症、ギニアワーム、オンコセルカ症など、トレポネーマ感染症(イチゴ腫など)に関しては1950年代以降、世界保健総会で根絶・制圧プログラムが次々に決議されて、個別疾患ごとの取り組みが行われてきました。

1997年のデンバーサミットでは、橋本龍太郎首相(当時)が、NTDのような寄生虫病が世界の貧困の原因であること指摘して、国際的な寄生虫対策の重要性を訴えたことで、国際社会の関心が集まり、その後、世界レベルでの活動が展開されるきっかけを作りました。しかし、これらの寄生虫病の一つ一つは、HIV、マラリア、結核に比べて死亡率が低く、感染者数自体も多いとは言えず、グローバルヘルスの中での位置づけが高くはなく、国連のミレニアム開発目標(MDGs)の中でも、Other Diseases(その他の疾患)と呼ばれていました。

その後、これらの「その他の疾患」が実は感染リスク下に生活する人数は10億人以上になり、グローバルヘルスの中での疾病負荷も非常に大きな、重要な疾患群であること、またNTD全体で見たときには、それぞれの疾患対策の戦略には共通点が多く、疾患横断的に取り組んだ方がより費用対効果や相乗効果が高まることが認識され始めました。そして、2005年にWHOが「顧みられない熱帯病NTD」と新たに再定義して一括りにグルーピングして、正式にNTD対策部を発足し、世界の貧困削減やMDGsの達成にも貢献することを目指して、NTDの制圧・根絶に向けた新たなチャレンジが始まったのです。

2007年には、WHOとして初となるNTDに関するグローバルパートナーズ会議が開催されました。グローバルパートナーズ会議では、NTDの疾病負荷やインパクトを改めて整理するとともに、NTDの制圧に必要な戦略やツールを提示しました。エビデンスを積み上げて政策の方向性を示し、NTDは制圧・根絶可能だという大きなビジョンをWHOの内外に対しても積極的に伝えていきました。その過程で多くのドナーやパートナー機関、研究者や専門家などとの連携を強めていきました。理論的にも疾患を制圧・根絶でき、かつそれを実現するためのツールやニーズを明確に示すことができれば、援助機関も支援をしやすくなりますし、製薬企業なども具体的な貢献の方法が見えやすくなります。そういった意味で、当時17種類もの熱帯病を1つのNTDとしてグルーピングしたことは非常に画期的なアイデアだったと思います。

さらに、WHOは2012年にNTD制圧目標達成に向けたロードマップを発表しました。このロードマップには、すべてのNTDの疾患に対してそれぞれ戦略と計画が明確に示されており、今でも、NTDに関わる全てのステークホルダーの指針かつ目標になっています。ロードマップには、2015年までに達成すべきマイルストーンと2020年のゴールに加えて、疾患別にどのような公衆衛生介入策を行うかが書かれています。具体的な公衆衛生介入策としては「予防的集団療法(集団投薬)」「安全な水と衛生」「獣医公衆衛生サービス」「統合的なベクター対策」「イノベーティブな疾病管理」の5つがあります。NTDとして定義される疾患は、これらの介入策5つのうち、1つまたは複数を組み合わせることで疾患対策ができるとされています。このように、疾患横断的に眺めてみると、2020年までに何を目指しているのか、どのような戦略を組み合わせると効果的なのかが一目瞭然だと思います。

また、同年2012年には、グローバル製薬企業13社、世界保健機関、世界銀行、ビル&メリンダ・ゲイツ財団、大学、研究機関などが結集して、2020年のNTD制圧達成に向けて、かつてない規模の官民パートナーシップによる重層的なNTD対策を発表しました(通称:ロンドン宣言)。さらに、2013年にはGHIT Fundも設立され、すでに申し上げたグローバルなNTD対策の潮流の中で、日本もNTDの制圧・根絶のためのコミットメントをさらに高めてきたと思います。

“疾患の制圧だけでなく、そのあとのフォローアップをどうすべきかという新たな課題が出てきています。”

世界保健機関西太平洋事務局の取り組み、制圧に向けた進捗、今後の見通しについてお聞かせください。

世界保健機関西太平洋地域事務所(WHO-WPRO)が管轄している国と地域の中では、NTDのうち14疾患が28カ国・地域に蔓延しています。この中で、最も進んでいるのはリンパ系フィラリア症(象皮病)の制圧です。フィラリア症は世界的には2000年に世界リンパ系フィラリア症制圧計画が立ち上がったのですが、実はそれに先駆けて太平洋諸国リンパ系フィラリア症制圧プログラム(Pacific Programme to Eliminate Lymphatic Filariasis: PacELF)が立ち上がっていて、それをリードしていたのが、一盛和世先生(現:長崎大学客員教授、元WHO・世界リンパ系フィラリア症制圧計画統括責任者)でした。一盛先生は、長年にわたって太平洋諸国のフィラリア症制圧に取り組んでいらっしゃいました。小さな島国が集まる太平洋州では、それぞれの国でばらばらに対策を行うよりも、地域全体を統括して戦略を立て、管理する方が圧倒的に効率的でインパクトが大きいという考えの元、一盛先生はフィラリア症の地域プログラムを立ち上げたのです。この取り組みがその後グローバルプログラムへと拡大されていきました。

リンパ系フィラリア症は、一部の例外を除いて、基本的には集団投薬で伝播を抑えることが可能な疾患です。これまでの戦略的な活動が功を奏して、WHOは西太平洋地域5ヶ国のフィラリア症制圧を2016年に承認しました。2017年には、マーシャル諸島とトンガ王国もこれに続いており、他にも幾つかの国々がさらに承認を得られる見込みです。これら7か国のうち6か国はPacELFの国々です。過去フィラリア症は2020年までに制圧することが目標にされていますが、西太平洋地域については、このまま順調に進めば、ほとんどの国で目標を達成することが可能だと考えています。

このように集団投薬を制圧のための戦略の中心にすることで、大きな成果を得られる疾患もありますが、先程も申し上げたように他の4つの戦略を効果的に組み合わせなければ制圧が難しい疾患もあります。例えば、例えばフィリピンと中国で蔓延している日本住血吸虫症は、水牛などの動物にも感染するので、人間に集団投薬しているだけでは不十分です。さらに、「安全な水と衛生」「獣医公衆衛生サービス」などの介入策をうまく組み合わせることが極めて重要になります。

世界的に見ても、これまでNTDを制圧・根絶するための最大の戦略が集団投薬でした。安価な薬剤で疾患を抑えることができますし、費用対効果が極めて大きいからです。アフリカなどの他の地域ではまだ必ずしも十分に進んでおらず、集団投薬のスケールアップが最重要課題となっています。一方、西太平洋地域では、幸いにして集団投薬が非常に進んでいますが、多くの国が世界に先駆けて、新たな段階を迎え、新たなチャレンジに直面しています。異なる疾病を抱え、異なる段階にいるすべての国々が確実に次のステップに進むことができるように支援をしたり、成功事例をガイダンスとしてまとめることも、WHO-WPROに求められていることだと考えています。

“各国の保健省やドナー・パートナー機関と一緒に、できる限り多くの国が、多くの疾患を制圧し、NTDロードマップのゴールを達成できるように、裏方として徹しながらサポートしていきたいと考えています。”

NTD対策で今後必要なことは何でしょうか?

例えば、フィラリア症を制圧した国々がいくつか出てきていますが、制圧を宣言した国々には、今現在も象皮病を発症した患者さんがいて、残りの人生をそのまま生きていくことになります。そうした患者さんに対しても、どのような医療サービスを継続的に提供していくのかを検討していかなければなりません。「フィラリア症制圧が終わりました。プログラムはこれで終了します。」と各国の保健省が言ってしまえば、実際に障害を負ってしまった患者さんは取り残されてしまう可能性があります。疾患の制圧だけでなく、そのあとのフォローアップをどうすべきかという新たな課題が出てきています。

もう一つは、サーベイランスです。グローバリゼーションによって、アジア・太平洋地域内での人の移動は非常に活発になっています。例えば太平洋諸国には、バングラデシュやフィリピンから多くの人が出稼ぎに来ています。バングラデシュもフィリピンもフィラリア症の蔓延国なので、もしそれらの国から感染者が大量に太平洋のとある島国に移動すれば、理論的には伝播の再燃の可能性は否定できません。従って、感染を早期に検知するためのサーベイランスを継続していかなければなりません。しかし、フィラリア症を制圧してしまえば、フィラリア症プログラムの中でのサーベイランスも終了することになります。そのため、今度はその国の医療システムの中でサーベイランスを行うシステムを構築していく必要性が出てきています。

このような新たな課題が出てきても、様々なステークホルダーと連携しながら、どういったシステム・措置が最も効果的で実行可能なのかを試行錯誤し、エビデンスを蓄積・精査しながら構築していくわけです。私たちの経験や教訓が、他のNTDの取り組みや、他の疾患のプログラムにも応用できることもあると思うので、そういった先駆的な取り組みを積極的に行っていきたいと考えています。

矢島先生がこの分野で働くことになったきっかけやモチベーションについて教えてください。

私は医師ではなくて、もともと衛生分野の専門家です。私が衛生分野に興味を持ったのは病原体の環境中でのライフサイクルに興味を持ったからです。病原体は、人、動物、昆虫、環境中などを巡り巡って感染が広がります。その病原体のライフサイクルや感染のメカニズムをきっちりと理解することができれば、感染を断ち切るための戦略を立てることができますし、それができなければ感染は広まっていきます。

寄生虫は、細菌やウイルスと違って伝播効率が比較的悪いので、伝播を遮断しやすいということがありますし、制圧や根絶が可能なのであれば、なおのことそれを進めたい。なくせる疾患はなくしていきたいと。

私は、以前ベトナムで寄生虫対策の研究をしていたのですが、そこでの経験がきっかけで、WHOで仕事をするご縁を得ました。2006年からWHO本部のNTD対策部で勤務を始め、そこで、私の恩師でもある一盛和世先生と出会い、WHOでの仕事、疾病根絶・制圧に関する仕事のイロハを叩き込んで頂きました。

「WHOはオーケストラの指揮者のようなもの」と一盛先生はおっしゃっていました。WHO以外にも様々な機関や団体がグローバルヘルスに関わっていますし、ますますそのプレイヤーは増える一方です。そんな状況の中で、WHOは自らが楽器を奏でるのではなく、 様々な楽器という得意分野を持ったプレーヤーたちが、適切な楽器を適切なタイミングで奏でて1つの音楽を作れるように、エビデンスに基づくガイダンスと、エビデンスが今後さらに必要となる分野を提示することによって、ステークホルダーが進むべき方向性を示し、共通するゴールへと先導する役割が求められているのだと思います。指揮者が指揮者として仕事をきちんとできているプログラムはうまくいきますが、それができないと様々なプレイヤーがそれぞれに動いてしまい、連携が取れずプログラムはうまくいきません。私たちは、こうした指揮者としての重要な役割を担っているということを常に心に刻んで、仕事に取り組んでいます。

今後の目標としては、各国の保健省やドナー・パートナー機関と一緒に、できる限り多くの国が、多くの疾患を制圧し、NTDロードマップのゴールを達成できるように、裏方として徹しながらサポートしていきたいと考えています。

本インタビューに掲載の所属・役職名は、2017年のインタビュー公開時のものです。

略歴
矢島 綾
世界保健機関西太平洋地域事務所
顧みられない熱帯病 専門官
2016年より世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務所において、顧みられない熱帯病(NTD)の制圧・対策を担当。WHO本部、国事務所、ドナーおよびパートナーと連携・調整し、NTD伝播の制圧・対策に向け、NTDが蔓延する加盟国に対し政策立案、活動実行を支援。それまではWHO本部NTD対策部において、Preventive chemotherapyによるNTD伝播対策を推し進めるための様々なメカニズムや技術指針、ツールの開発・導入を支援。ロンドン大学を卒業、東京大学よりベトナムの肝吸虫伝播対策で博士号を取得。

STAKEHOLDER INTERVIEWSARCHIVES

FUNDING

01

山本 尚子厚生労働省 大臣官房総括審議官
(国際保健担当)
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02

ハナ・ケトラービル&メリンダ・ゲイツ財団
グローバルヘルス部門ライフサイエンスパートナーシップ
シニア・プログラム・オフィサー
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03

スティーブン・キャディックウェルカム・トラスト
イノベーションディレクター
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DISCOVERY

01

デイヴィッド・レディーMedicines for Malaria Venture (MMV) CEO
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02

中山 讓治第一三共株式会社
代表取締役会長兼CEO
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03

北 潔東京大学名誉教授
長崎大学大学院 熱帯医学・グローバルヘルス研究科 教授・研究科長
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DEVELOPMENT

01

クリストフ・ウェバー武田薬品工業株式会社
代表取締役社長 CEO
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02

畑中 好彦アステラス製薬株式会社
代表取締役社長CEO
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03

ナタリー・ストラブウォルガフト顧みられない病気の新薬開発イニシアティブ(DNDi)
メディカル・ディレクター
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ACCESS

01

ジャヤスリー・アイヤー医薬品アクセス財団
エグゼクティブ・ディレクター
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02

近藤 哲生国連開発計画(UNDP)駐日代表事務所
駐日代表
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03

矢島 綾世界保健機関西太平洋地域事務所
顧みられない熱帯病 専門官
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POLICY

01

マーク・ダイブル世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)
前事務局長
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02

セス・バークレーGaviワクチンアライアンスCEO
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03

武見 敬三自由民主党参議院議員
国際保健医療戦略特命委員会委員長
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